HISTORY

ESSのあゆみ

写真でみるESSのあゆみ

創業時から現在にかけ、社員達が世界各地で「ESSのあゆみ」を撮影してきました。
長い年月をかけて撮影された写真には、開発コンサルタントとしての情熱が表現されています。海外での一場面を切り取った写真から「ESSのあゆみ」を楽しんでください。
ESSはこれからも、新しい時代に向かって一層の発展をめざします。

ASIA

アジア

YEMEN

イエメン共和国は、中東・アラビア半島の南西端に位置しています。面積は52.8万㎢と日本の1.4倍であり、人口は日本の約5分の1の2,480万人(2011年)です。気候は沿岸部や東部低地では砂漠気候のため一年中暑く、西部山岳地域では標高が高く涼しいですが、大雨季と小雨季以外の季節は乾燥した晴天が続きます。このような地域に生活する人々に必要な水は、主として地下水に頼っています。しかしながら、近年では経済発展に伴う水需要量の増加が大きく、特に首都サナア市が位置するサナア流域では既に地下水位の低下が進んでいます。このような状況を受けて、2007年に日本の技術協力支援を受け、イエメン国政府はサナア流域水資源管理行動計画を策定しました。また、他の流域においても同様な計画を策定し、国として、限りある地下水資源の持続性確保を可能とする水利用に向けた取り組みを始めようとしています。
2011年2月には大統領の退陣を求めるデモの発生、2013年には国際テロ組織によるテロ活動の計画が指摘されているなど、政情や治安の懸念が生じていましたが、現在は、治安も安定しつつあるとの情報が聞かれます。今後、更に状況の改善が進み、イエメン国内の治安の面のみならず、安定した水供給の面からも人々が安心して暮らせるようになることを切に願っています。

ESSのあゆみ イエメン
ESSのあゆみ イエメン
ESSのあゆみ イエメン
ESSのあゆみ イエメン

INDONESIA

インドネシアは1万8千を超える大小の島々からなり、面積は日本の約5倍もあります。人口は世界第4位、約2億3千万人、世界最大のイスラム人口国です。また、親日国と言われています。五輪真弓の「心の友」という歌は、インドネシアではとても有名でカラオケでは誰もが日本語で歌っています。
首都のジャカルタ市内の高速道路から見渡す景色は、高層ビルやオフィスビル、ホテル、デバート等が立ち並び夜にはネオンサインが映え、経済発展のみなぎるエネルギーを感じます。北部のスマトラ島には、バルプ出荷桟橋の鋼管杭の健全企性調査で1ヶ月間ほど滞在したことがあります。スマトラ島は豊かな森林資源に恵まれ、カラフルな小さい熱帯魚が泳ぐエメラルドグリーンのとてもきれいな海あります。
ここで調査団員の一人であったS氏は現地インドネシア人のSさんと出会い、その後めでたく結婚することになりました。日本人が自然に仲良くなれる国、それがインドネシアです。

ESSのあゆみ インドネシア
ESSのあゆみ インドネシア
ESSのあゆみ インドネシア
ESSのあゆみ インドネシア

CAMBODIA

カンボジア王国は、シハモニ国王を元首とする立憲君主国で、首都はプノンペン、国土面積は日本の約半分の18.1万㎢。人口約1500万人の約9割がクメール人で、上座仏教徒が9割を超える仏教国です。1953年にフランスより独立。ポル・ポト政権下では、100万人とも200万人ともいわれる人々が虐殺されました。現在は、中立·非同盟および各国との平和共存を基本方針とし、国際社会からの援助と投資を受け入れて、7.7%という高い経済成長率(2002~2011年の平均IMF)を示しています。首都プノンペン市郊外の村落で、深井戸を掘削し、住民に安全な飲料水を供給するプロジェクトに従事しました。対象村落の住民たちはプロジェクトを大歓迎してくれ、作業がやりやすいように掘削現場周辺を整えたり、プロジェクトメンバーのための休憩場所を用意してくれるだけでなく、 しばしば食事や果物、飲み物なども振る舞ってくれました。それは裕福でない彼らにとって最大限の持てなしだったのだと思います。
当時の写真を見るたびに、作業の合間に村の子供たちとサッカーをしたり、日本の折り紙を折ったり、またクメール語を教えてもらったりしたことなどが思い起こされます。いつか機会があれば、 また村を訪れて、 クメール語を教えてくれた子供たちに会いたいですね。

ESSのあゆみ カンボジア
ESSのあゆみ カンボジア
ESSのあゆみ カンボジア
ESSのあゆみ カンボジア

THAILAND

タイはどの地方が好きですか?とよく聞かれます。もしその人が南部出身だったら、満面のタイスマイルで「もちろん南です!人が明るいから」と答えます。いや本当ですよ。「でも南タイ料理は辛くて参るね」と付け加えて。ある南部の教育長さんがこんなことをいいました。「南部の人はタイのなかでも特に人情が厚く、助け合う気持ちが強いです。川で子供が溺れていたら、自分も危ないと判っていても助けに入って死んでしまう、そんな事故が多いんです」強い緋はときに犠牲者を生む。そんな地域にどんな防災を伝えますか。
東日本大震災直後には、タイからの心暖まるメッセージに感動した人も多いはず。タイの人々もまた、日本人に思いやりの心を重ねてみていたのではないでしょうか。「防災は人の心育てに始まり心育てに終わる」というのは、防災教育の近藤ひろ子先生の言葉。防災はともすると危機管理訓練に終始してしまい、知識やノウハウばかりが先行する。そこに、本当に大切な心が知らず知らずに抜け落ちてしまう。日本人だからすっと懐に入れる「入口」を探して、これからも防災を探していきたいです。

ESSのあゆみ タイ
ESSのあゆみ タイ
ESSのあゆみ タイ
ESSのあゆみ タイ

TAJIKISTAN

タジキスタン共和国は、1991年にソビエト連邦の解体に伴って独立を果たしました。首都はドゥシャンベ、人口は約700万人、南にアフガニスタン、東に中華人民共和国、北にキルギス、西にウズベキスタンと国境を接します。人口の80%をモンゴル系のタジク人が占め、外見は日本人と変わりません。独立前には、人口の7.6%をロシア人が占めていましたが、内戦により大部分が流出しました。それと同時に、行政組織の弱体化、インフラの機能不全等が生じ、給水施設もソ連時代の大規模施設が故障したまま、放置されています。
ESS は、2007年~2009年に、ハトロン州の南部において、機能不全に陥った給水施設を改修し、安全な水を供給するためのマスタープラン策定のための調査を実施しました。夏には40℃以上、冬には0℃以下となる自然条件など、調査には多くの困難が生じました。それでも、地域の各村で給水施設を復旧させるためのマスタープランが完成し、その内の1つの村では、実際にパイロット事業を通じて、給水施設を復旧させることができました。
長期間の滞在を通じ、住民の生活の困窮度と水の必要性を実感した仕事となりました。マスタープランにもとづき、全ての村に給水施設が復旧されることが期待されています。

ESSのあゆみ タジキスタン
ESSのあゆみ タジキスタン
ESSのあゆみ タジキスタン
ESSのあゆみ タジキスタン

NEPAL

ヒマラヤ山脈の氷河末端に発達した氷河湖は、その構造上、湖を堰き止めている堤体部分が決壊するリスクを常に孕んでいますが、近年では地球温暖化等の影響により、氷河湖の拡大が進み、決壊のリスクが高まっていると言われています。
ESSでは、2008年4月~5月に、慶応義塾大学が実施した、イムジャ氷河湖の決壊洪水の危険度調査に参加しました。イムジャ氷河湖は、ネパールのクーンブ地方、エベレスト街道上部の標高 5,000mに位置します。エベレスト街道沿いには、多くの集落が存在しており、その名前が示すとおり、多くの観光客が訪れる重要な観光資源でもあります。万が一、氷河湖決壊洪水が発生し、流域の社会インフラが破壊されるようなことがあった場合、ネパール経済にも大きな影響を与えることが懸念されます。
慶応義塾大学では、「デジタルアジア構築と運用による地域戦略構想のための融合研究」の一環として、氷河湖の堤体部の強度の調査、流域の脆弱性調査、ならびに氷河湖の監視システムの構築等を実施しました。ESSでは堤体の非破壊保査と、流域の社会状況調査を担当しました。

ESSのあゆみ ネパール
ESSのあゆみ ネパール
ESSのあゆみ ネパール
ESSのあゆみ ネパール

PAKISTAN

パキスタンは、私にとって思い出深い国のひとつです。2008年9月に北部辺境州のアボタバード市(2011年5月にオサマビン・ラディンがアメリカ軍によって殺害された町)の水道給水無償事業の事前調査で地下水開発専門家として訪れ、学生時代には北部辺境州を旅したことを思い出しました。
あれからすでに35年が経過…。当時は、ベトナム反戦運動が世界中で盛り上がっており、やり場を失ったヒッピーが世界各地にあふれていました。インド、亜大陸をやっとの思いで駆け抜け、ヒンドスタン平原の肥沃な地域を通過し、北部辺境地域の乾燥地域に足を踏み入れました。35年を経過して、再訪したパキスタンの政情は混迷を極めていました。我々の訪問の9か月前にはブット首相暗殺事件が起こり、アルカイダがアフガニスタンとパキスタンの国境に潜伏、特に辺境州では警察所を狙ったテロが多発していました。滞在中にはイスラバマードでのマリオットホテル爆破事件があり、行動は限定され、ペシャワールの打ち合わせは常に警察の護衛が必要でした。昔を懐かしんで出かけた出張でしたが、私の淡い期待とは裏腹に、世界の紛争の現実に触れることになりました。

ESSのあゆみ パキスタン
ESSのあゆみ パキスタン
ESSのあゆみ パキスタン
ESSのあゆみ パキスタン

BANGLADESH

溢れるような“ヒト・車・力車”。これが首都ダッカの第一印象で、いつまで経ってもこの印象は変わりません。日本の面積の約 40%の面積の国土に、日本の人口の約 10%増しの約1.4億人が住み、人口密度は981人/㎢という高さです(日本は337人/㎢)、正にどこへ行ってもヒト・ヒト・ヒトです。
バングラデシュは、ガンジス川・その他の大河川の下流に形成されたデルタ地帯にあり、国土の大部分が標高9m以下の低地であるため、モンスーンの季節にはしばしば水害に見舞われます。街には、互いに何度もぶつかり、車体が磨りガラスのようになったバスやトラックが走ってます。その割には排気ガスが意外ときれいなのは驚きです。これは、既に燃料がCNG というガス燃料に切り替えられているからで、想像以上に排気ガス対策が進んでいるのがまた驚きです。
カレーと言えばインドが有名ですが、 バングラデシュもまたカレーの国です。地方へ行けば、朝・昼・晩とすべてカレー三昧になります。何種類ものスパイスを使うバングラデシュのカレーのおいしさは、インドカレーにもひけはとりません。厳格なイスラム文化と近代化が交差する国、それがバングラデシュです。

ESSのあゆみ バングラデシュ
ESSのあゆみ バングラデシュ
ESSのあゆみ バングラデシュ
ESSのあゆみ バングラデシュ

BHUTAN

人口約 70万人の小国ブータン王国。日本人とそっくりな顔立ちと着物とそっくりな衣装。
そんなブータン王国の玄関口であるパロ空港に降り立った日本人の多くが、あれ?なんか懐かしいな、と感じるようです。とりわけパロの谷はブータンでも屈指の稲作地帯。その田園風景は古き日本の農村そのものです。
そして、仏教と礼儀を尊ぶ国ブータン。 2011年、国賓として来日した第5代国王が、民族装束に身を包んで演説された漂々しく気品ある姿は記憶に新しいと思います。また、子供たちはいつも礼儀正しく、例え石ころ1つであっても人にモノを頂いたときには、必ず両手を差し出し深々とお礼をします。そんな姿にはいつも感心させられます。
一方で、他の国がそうであるように、ブータンもまた変化し続けます。1999年のテレビ放送開始、2003 年の携帯電話の解禁、2008年の初の国民議会選挙と立憲君主制へ移行。凄まじい速度で流入する異文化は、ブータン国民のそれまでの生活様式を根底から揺さぶります。日々変化していくブータンを目の当たりにすることは少なからず寂しいものです。
それでもやはり、礼儀正しく慎ましく生きるブータン人の姿は、訪れる我々の心の中のちょっとした自責みたいな部分をくすぐるのです。

ESSのあゆみ ブータン
ESSのあゆみ ブータン
ESSのあゆみ ブータン
ESSのあゆみ ブータン

VIETNAM

ぼんやりと眺めて考えごとなどしていると、どこの国にいるのか一瞬わからなくなってしまいそうです。車窓から見る田園風景はどことなく慣れ親しんだ日本に似ていて、自然に体になじむのでしょう。南北に長いベトナムは、日本と同じく風土の違いがよくわかります。冬は冷え込む首都のハノイと年中暑い南のホーチミンでは、その立地条件だけでも食べ物や人々の気質、風景に個性がにじみ出るようです。ソビエトの香り漂う北部、フランス色濃い南部、さらに深い歴史が刻む風土もまたそれぞれの地域を特徴づけています。このようなバラエティに富んだこの国ですが、食べ物は総じて日本人の口に合います。だしの取り方、 米や麺の食べ方、ちょっとした下味の付け方など、ついつい領いてしまいます。
街は急成長のど真ん中。さっと見渡すだけでビルの建築ラッシュが目に入ります。行き交う車とおびただしい数の中型スクーターのエンジン音、街行く人々の喧喋は、この国の元気の源になっています。

ESSのあゆみ ベトナム
ESSのあゆみ ベトナム
ESSのあゆみ ベトナム
ESSのあゆみ ベトナム

CHINA

中国はESSの20年の歩みの中でも、忘れることができない国であり、ESSの歴史は中国での事業を抜きには語れません。
1992年の深圳での鄧小平の南巡講話に触発され、「これからは中国の時代」の思いで 、1994年9月(創業4年目)に仕事そっちのけで中国全土を視察したのを思い出します。その後、ウルムチ、西安、成都、威海で小規模ながら6社の合弁企業を設立し、10年間の中国での企業活動を行いました。最終的にはすべてが失敗に終わり、いくばくかの負債を抱える事態となりました。ESS の企業理念である「誠意と挑戦」の挑戦で挑んだ中国での企業活動は、資金もない素人集団が、理想に向かってがむしゃらに突き進む無謀な戦いでありました。中国の事業で打ちのめされたESSは、2003年に本来の得意分野である環境・地質分野のコンサルタント業を中心とした事業に回帰したのがこの時期です。その後、水資源、防災を専門とする海外開発コンサルタント会社に発展していきます。
中国での経験で、中国人は日本人と異なる道徳観や倫理観を持ち、ビジネスにおいては理想よりも現実を重視する。人を容易に信じない等を学びました。タクラマカン砂漠や天山山脈の旅、四川料理と北京ダック、西安の佼子、威海の海産物と生ぬるいビールが今も思い出に残っています。

ESSのあゆみ 中国
ESSのあゆみ 中国
ESSのあゆみ 中国

AFRICA

アフリカ

UGANDA

ウガンダの首部カンパラから約35kmの、ビクトリア湖湖畔に位置するエンテベ国際空港に着陸する時、広大なビクトリア湖とその周辺の豊かな緑にまず目を奪われます。ウガンダは、東アフリ力の内陸部にしては水と緑が豊かな国で、イギリスのチャーチル元首相が「アフリカの真珠」と称したほど美しい国です。また、第2次世界大戦中に当時ウガンダを支配していたイギリス政府は、環境が良いことから一時的にウガンダに政府機関を移転しようと考えていた、という話もあるくらいです。
ウガンダはアフリカ最大の湖であるビクトリア湖に面しており、ビクトリア湖はそこから流れ出る白ナイル川の源流となっています。ビクトリア湖の存在だけでも水が豊かなイメージがありますが、実際に湖の周辺には広大な湿原が広がり、同時に豊かな水を育む雨も多く、年間降水量は約1,000mmと東アフリカでは最大です。こういった豊かな水と食べ物に恵まれていることから、ウガンダの人々は礼儀正しく、穏やかと言われています。ウガンダの豊かな水と緑は、心に安らぎを与えてくれること間違いありません。是非ご自分の目で確かめられてはいかがでしょうか。

ESSのあゆみ ウガンダ
ESSのあゆみ ウガンダ
ESSのあゆみ ウガンダ
ESSのあゆみ ウガンダ

ETHIOPIA

日本の約3倍の面積で、約8500万人の人口は、アフリカではナイジェリアに次いで2番目です。1993年北部のエリトリア地区が独立し、エリトリアとは現在でも領土問題、港湾の利用権などで紛争が続いています。国士の大部分がエチオピア高原を中心とする高地で涼しい気候です。しかし日差しは強く、快晴の時は肌を刺すようです。エチオピア高原は降水量が多く、高原に豊かな植生をもたらすとともに、四方へと流れ下り、周囲の乾燥地域を潤します。
地方の農村に行くと、多くの家は丸い茅葺のような家です。中に入ると、右側に家畜がおり、 左側が炊事場、奥が寝所となります。
宗教は、キリスト教50%、 イスラム教30%、その他伝統宗教及びユダヤ教と言われていますが、国で政教分離を定めているため宗教色はほとんど感じられません。
独特なものに「エチオピア暦」があります。西暦の他に別の年号があるというものではなく、西暦と7年9ヶ月のずれがあります。政府の公文書や領収書などもエチオピア暦の日付で発行されます。

ESSのあゆみ エチオピア
ESSのあゆみ エチオピア
ESSのあゆみ エチオピア
ESSのあゆみ エチオピア

ERITREA

エリトリア国は、アフリカ大陸北東部に紅海に面して位置する人口560万人(2012)、一人当たりGDP430ドル(2011)、面積11.76万㎢の国です。約30年に及ぶエチオピアからの独立戦争を経て1993年に正式独立を果たしました。首都は標高2300m程度の高地にあり過ごしやすい地域です。私が従事した2005年当時、国政は一党独裁で治安が安定していましたが、現在は不安定な状況にあるようです。国民性はプライドが高く頑固な面も感じられましたし、時間概念がルーズで困ったことが多かったです。日本人が余りにも几帳面すぎるから余計に気になるのだと思います。一方どこの国も同じかもしれませんが、子供たちは皆、人なつっこく素直です。また、働きもので特に女性が水くみ等の重労働をこなしている姿を見ると、頭がさがる思いです。
特に驚いたことがあります。当然このような途上国には電気がありません(都市部を除いて)。道には街灯がなく真っ暗!それなのに昼間のように人や家畜が平然と歩いている。
月夜の晩ならわかりますが、月も出てない時に「見えるのでしょうか?」ビックリ!しました。

ESSのあゆみ エリトリア
ESSのあゆみ エリトリア
ESSのあゆみ エリトリア
ESSのあゆみ エリトリア

GHANA

ガーナは西アフリカに位置する共和制国家。東にトーゴ、北にブルキナファソ、西にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面しています。日本では、大手菓子メーカの商品「ガーナチョコレート」により、カカオ豆の産地として有名です。
私がガーナを訪れたのは、2005年2月で、水資源開発関係のプロジェクト形成のためでした。北部3州の村落給水の実態調査を行った際に、大きな金属製たらいに水を入れ、頭に乗せて運ぶ多くの女性を見かけました。水を運びながら会話を楽しんでいるようでした。
このような微笑ましい光景とは違って、ガーナには深刻な飲料水の問題があります。人体に寄生するギニアワームです。このギニアワームに寄生されると、発熱、激痛をもたらしますが、今のところワクチンも治療薬もないため、感染しないことが第一条件になっています。水を介して感染することが知られており、新鮮な水さえ飲むことができれば簡単に感染が防げます。最近は、井戸の普及によって患者数が減っています。日本の援助で掘削した井戸は1,000本以上あり、このような形で日本が貢献していることを知り、うれしく思いました。

ESSのあゆみ ガーナ
ESSのあゆみ ガーナ
ESSのあゆみ ガーナ

SUDAN

アフリカ大陸の東部に位置するスーダン共和国。2011年7月9日に南スーダンが独立するまでアフリカ最大の面積を有する国でした。現在でも広大な国土面積を誇り、人口は約3000万人です。気候は沙漠からサバンナ気候まであり、南東に移動するにつれて降水量が増加します。
スーダンを語る場合、ナイル川の存在を無視することはできません。ナイル川本流、アトバラ川、青ナイル川、白ナイル川が国土を縦貫しており、これらの河川から取水された大小さまざまな灌漑施設によって沿岸は豊かな農業地帯となっています。また、ヌビア砂岩層には豊富な地下水が存在しています。同時に南部の豊かな帯水層には石油も埋蔵しており、現在南北スーダンがその利権をめぐって激しい対立をしています。
スーダンの人々は実に温厚で敬虔なイスラム教徒です。また、個人の能力も高く極めて親日的です。私達はこのような一見厳しい自然環境下のスーダンで2008年より日本の技術協力プロジェクトを実施しています。潜在能力の高いスーダンが近い将来アフリカでも有数の発展した国家になることを関係者一同願っています。

ESSのあゆみ スーダン
ESSのあゆみ スーダン
ESSのあゆみ スーダン
ESSのあゆみ スーダン

TANZANIA

キリマンジャロ山、多数の国立公園や動物保護区などの観光資源、金や石油、地下水を代表とする天然資源に富む国として、アフリカ大陸で有数の国タンザニア。日本の2.5倍もの広大な国土には、スワヒリ語を共通言語としながら、異なる宗教や独自言語をもつ100を超える民族、計約4,000万人の国民が生活をしています。タンザニアの人々の生活の足しとして欠かせない路線バス「ダラダラ」。満員になるまで出発しない、今にも故障して止まってしまいそうな年季の入った車軸、しかし本当に止まっても誰も文句は言わない、“haraka haraka haina baraka”=「急いでも何のメリットもない」という感覚は、普段時間に追われることが当たり前の日本人にとっては、どこか新鮮に映ります。おしゃべり好きのタンザニア人の談笑の声で、バスはいつも活気で溢れています。
停電や断水は日常的、経済格差が益々広がる昨今、教育や医療サービスを満足に受けることができる国民はほんの一部に限られます。どんな困難もユーモアと笑いで吹き飛ばしてしまう国民性は、この国を訪れる全ての人に元気を与えます。それは、今後この国を益々活性化するエネルギーとなるに違いありません。

ESSのあゆみ タンザニア
ESSのあゆみ タンザニア
ESSのあゆみ タンザニア
ESSのあゆみ タンザニア

BURKINA FASO

国名は、「高潔な人々の国」を意味します。西アフリカの内陸に位置し、日本の陸地の総面積から北海道と四国を除いた程度の面積に、日本の人口の13%程度の人々が住んでいます。北部域はサヘル地帯で極めて乾燥しており、南方に向かって降水量が増加します。主要な産業は農業で、主な産物は、サトウキビ、米、栗、トウモロコシ、綿花、ゴマなどです。ゴマは日本へも輸出されています。村の民家の多くは、日干し煉瓦を泥で固めて作られています。それぞれの村には、村の規模に合わせた大きさのイスラム教のモスクが建てられており、これもまた泥でできています。尖塔と平らな屋根から成り、横方向に交差させた木の棒が外壁から突き出ているモスクの形状は、ブルキナファソのみならず西アフリカの近隣諸国でも見られる特徴的な様式です。大雨が降ると泥でできた建物はしばしば壊れますが、壊れたらまたすぐに直せばいいという、とてもおおらかな人々です。
この国は、隣国を結ぶ主要な幹線道路が走る交通の要所になっており、西アフリカにおいて、政治・経済的にも地理的にも重要な役割を担っています。

ESSのあゆみ ブルキナファソ
ESSのあゆみ ブルキナファソ
ESSのあゆみ ブルキナファソ
ESSのあゆみ ブルキナファソ

MOROCCO

アフリカ大陸の北西部、地中海と大西洋に面したモロッコは、アラブ諸島の中で最も西に位置することからマグレブ(日の沈む国)と呼ばれます。モロッコの魅力は、なんといっても多様な自然と、そこに住む多くの民族です。国の中央を東西に走る三大山脈、アンチアトラス、中アトラス、高アトラスを境に北側は穏やかな地中海性気候、南側は厳しい砂漠気候となります。
内陸の都市、フェズ、メクネス、マラケシュには、メディナと呼ばれる旧市街地が保存されており、それらはイスラム文化の貴重な街並みとして、世界遺産にも登録されています。一歩入ると、多くの小道が入りくんだ迷宮が広がっており、アラブ商人の活気ある掛け声が飛んできます。
一方でアトラス山脈にはアマジール民族とよばれる先住民族が伝統的な牧畜を営んでおり、牧歌的な風景が広がります。これらの自然や文化に魅せられて、毎年多くの観光客がモロッコを訪れます。伝統的なイスラムの文化を守り続けるとともに、モロッコは近年、急速に経済発展をしてきました。EUや日本企業の工場も誘致し、アフリカの中で優等生的な存在です。
今後、ますます、この魅力ある国に多くの人々が訪れ、ヨーロッパとアフリカを結ぶ重要な国になることでしょう。

ESSのあゆみ モロッコ
ESSのあゆみ モロッコ
ESSのあゆみ モロッコ
ESSのあゆみ モロッコ

RWANDA

「ホテル・ルワンダ」で知られる大虐殺から来年で20年を迎えるルワンダは、その惨劇をカガメ大統領と共に国民全員で乗り越え、毎年7%台の成長を続け、まさに今アフリカでも特にめざましい発展を遂げている国の一つです。国土は日本の四国より少し大きい程度。コーヒーや紅茶の美味しさは有名です。観光資源は北西部のゴリラツアーをはじめとする国立自然公園やキブ湖周辺が見どころです。しかし何と言ってもこの国の特徴は、空港を抜けた後の街道の木々の緑や花々、アフリカで1,2を争うほどの清潔な町並みでしょう。さらに丘をびっしりと埋め尽くす家々の風景の美しさにも思わず目を見張ります。
美しさは都市部だけではありません。千の丘の国と称される素晴らしい景色を、田舎に移動する車窓から見ることができます。その景色を抜けて田舎にたどり着けば、目をらんらんとかがやかせた子供たちにすぐに囲まれてしまいます。今回選んだ写真から、ルワンダの素晴らしさの一端をぜひとも感じとって頂けたら幸いです。

ESSのあゆみ ルワンダ
ESSのあゆみ ルワンダ
ESSのあゆみ ルワンダ
ESSのあゆみ ルワンダ

LATIN AMERICA

ラテンアメリカ

CUBA

キューバのイメージって何でしょう?
カストロ、チェ・ゲバラ、今なお残る数少ない社会主義国家、反米国家、などちょっと政治的な面、あるいは、カリブ海に浮かぶ明るく陽気なラテンの国というイメージ。カリブ海の真珠、と呼ばれることもあるようです。音楽好きなら、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブという映画(あるいは音楽バンド)やサルサという言葉を思い浮かべるかもしれません。上質な葉巻やラム酒でも有名です。ヘミングウェイも居ましたね。実際に現地へ行ってみると、これらすべてを包み込んだ、ある意味で混沌とした、しかしとても魅力的な国でした。近年の気候変動で、ある年は渇水、ある年は巨大台風に襲われる、という異常気象が生じる中で、安定した水源としての地下水を有効に管理するため、地下水シミュレーションモデル構築のための技術協力プロジェクトが実施され、我々は、現地の政府職員たちと一緒になってキューバの地方都市を中心に活動しました。現場近くのオレンジ畑でもぎたてのオレンジを彼らと食べたこと、民宿で出てくる毎晩食べきれないほどの料理、歴史のある、しかしちょっとうらぶれた街並みなど、楽しく思い出します。

ESSのあゆみ キューバ
ESSのあゆみ キューバ
ESSのあゆみ キューバ
ESSのあゆみ キューバ

NICARAGUA

ニカラグア共和国は北西にホンジュラス、南にコスタリカと国境を接し、長期間続いた独裁政治と、その後のニカラグア革命後の内戦のため国が疲弊し、国民の所得や識字率が中米諸国の中でも低い状況にあります。
私がニカラグアを訪れたのは、2008年2月で、日本の八重桜に似たタブベイアの花が咲く快い季節でした。約1か月、ホンジュラスとの国境に近いビジャヌエバ市の貧困コミュニティで防災技術支援を行いました。コミュニティ防災の専門家として従事するのは、フィリピン国のカミギン島以来2度目のことで、ニカラグアの農村を知る絶好の機会となりました。ニカラグアは、1998年10月に中南米を襲ったハリケーンミッチで、特に農村部を中心に甚大な洪水被害を受けました。
本プロジェクトは、地域のNGOの尽力もあり、コミュニティ防災案件の好事例として評価できました。貧しさゆえに災害に対する十分な事前対策が実施できないことは世界中の貧困村落で見られます。日本と同じ火山国で、風光明媚なニカラグアは、洪水だけでなく地震、火山、土砂災害の脅威にもさらされています。「災害は貧困層をより貧困にする。防災は貧困問題を解決する」を強く感じた業務でありました。

ESSのあゆみ ニカラグア
ESSのあゆみ ニカラグア
ESSのあゆみ ニカラグア
ESSのあゆみ ニカラグア

PERU

ペルー共和国は国土面積が日本の約3.4倍であり、マチュピチュの歴史保護区、ナスカとフマナ平原の地上絵をはじめとする11の世界遺産を有する豊かな自然と長い歴史で知られる国です。海岸沿いはアンデス山脈が連なる高地、首都リマを含む砂漠が広がる沿岸部、そしてアマゾン川流域のジャングル、ボリビアとの国境にはティティカカ湖と地域によって全く異なる風景に出合うことができます。近年日本でもペルー料理が注目を浴びるようになってきています。特に海岸地帯で育ったクリオーヨ料理はペルー料理を代表するひとつであり、黒人、インディヘナ、スペイン人、中国人、日本人、イタリア人などの影響を受けて独自のペルー料理を形成しています。その中でも魚介類を豊富に使ったセビッチェが国民的な料理であり、前菜としてまたはメイン料理として、よく食されており美味です。
また、ペルーには世界で3番目、南米ではブラジルに次ぐ規模の日系人社会が存在します。日本人がペルーに向け、南米初の集団移民を開始したのは明治32(1899)年で、現在推定で約9万人の日系ペルー人が存在します。

ESSのあゆみ ペルー
ESSのあゆみ ペルー
ESSのあゆみ ペルー
ESSのあゆみ ペルー

BOLIVIA

ボリビアといえば、なにかと4000mを上回る標高の話題でこと欠きませんが、国土は熱帯アマゾンから冷涼な渓谷地域、高山地域とたくさんの顔を持っています。とはいえ、ラパスの空港に到着するやいなや据え置き酸素ボンベ群のお出迎え、ドーム上に盛り上がりフタが吹っ飛んだプリングルス、インディヘナのおばちゃん達の山高帽とおさげ髪に、どこからとも無く流れてくるフォルクローレの音、やはり高山地域が絵になります。
主要都市のラパスでは、富裕層が谷底に集まり、貧困層が標高4000mを超える高台から街を見下ろしています。ほぼ同じ標高に、チチカカ湖やその周辺のインカ帝国の遺跡、南部には広大なウユニ塩湖が広がります。アマゾンに下りると海抜は300m程度になってしまいます。そこにはワニやカピバラ、タランチュラ、大蛇など、野生の王国に早変わりします。ラテンの国です。8時開演のイベントは11時に司会者登場、予約の鉄道は3日待てども現れず、飛行機は飛行中にルート変更当たり前。「ごめんごめん、妻が入院してね」とすっぽかし、すっぽかされ、時がゆっくり流れていきます。

ESSのあゆみ ボリビア
ESSのあゆみ ボリビア
ESSのあゆみ ボリビア
ESSのあゆみ ボリビア

HONDURAS

ホンジュラスは中央アメリカのほぼ中心に位置する国家で、西~南方をグアテマラ、エルサルバドル、東をニカラグアと中米諸国に隣接し、南北でカリブ海、太平洋に面しています。面積は日本の約3分の1で、775万人の人々が生活しています。おもな産業は農業、水産、牧畜業の第1次産業でラテンアメリカ諸国のなかでは経済的に遅れた国家のひとつといえます。貧困から脱却できないことから犯罪の増加や政治的に不安定な状態が継続するという悪循環が深刻な問題とになっています。気候は年間を通して比較的温暖で、ハリケーンによって災害の多いことで日本との共通点があります。
人々はメスティーソといわれる白人とラテンアメリカ原住民の混血が90%と大部分であり、宗教はカトリック系のキリスト教徒が9割を占めます。性格的には陽気で温厚。街並みも明るいので、日常生活を見ていると殺人事件の発生率が世界有数であることが信じられません。
我が国は災害関連の ODA 業務などで災害防止工事や技術指導などに取り組んできました。我々は業務を通じてホンジュラス国民の生活の安定化を支援し、それによる国政の発展を願ってやみません。

ESSのあゆみ ホンジュラス
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