1. HOME
  2. ブログ
  3. スーダンの水事情
  4. スーダンの多様な自然-地形

BLOG

ブログ

スーダンの水事情

スーダンの多様な自然-地形

南スーダンが独立する前のスーダンの国土面積は約251万km²であり、2011年7月まではアフリカ最大の面積を有する国であった。スーダンの地形は広大な平原と沙漠、国土の東西と南部の山岳地方とそこを流れる大小の河川、海岸平野、白ナイル川中流域の大湿原地帯に大きく分類できる。スーダンと日本の地形で大きく異なることは、スーダンには沖積平野と盆地、火山、湖及び島が少ないことである。

この章ではスーダンの主要な地形の内、山地、沙漠、平野と湿原を主体とし、河川については別の章で説明する。

1-1-1. 山地

写真1. カッサーラの有名な山並み

写真2. 火口湖を有するMarra山の衛星写真
(出典:ランドサット(カシミール画像))

スーダンの全体の地形はほぼ平坦であり、2000m以上の山岳部は紅海州、ダルフール州及び南部のウガンダ国境付近に集中している。また、東部のエリトリア及びエチオピア国境付近からは急激に標高が高くなる。この他、スーダンには乾燥地域特有のメサと呼ばれる卓状台地が浸食されてできた残丘が平地に数多く分布しており、その代表例はスーダンで新婚旅行客のメッカになっているカッサラ州のTaka山である。ここには1000m前後の残丘が連続しており、水墨画のような景観が見られる。

スーダンで最も高い山は、ダルフール地方にあるMarra山(3088m)である。Marra山には2つの火口湖が存在する。山頂から中腹部にかけて比較的新しい溶岩が大量に流失している地形が残されていることから、この山が活火山である可能性も否定できない。Marra山は広大な山麓部を有する火山であり、山頂付近の降水量が平野部より多いことから当然山麓付近に湧水が期待できる。その実態は不明だが、ダルフールからの情報によれば、この地方には地下水、伏流水、表流水が豊富で、首都のハルツームよりも気候は快適とされている。長年にわたる民族紛争がなければ、この地方はスーダン有数の豊かな州になっていたかもしれない。

スーダン東部の紅海州はナイル川水系と紅海に流れる各種涸川(ワディ)が海岸山脈によって分水されている。この海岸山脈はエジプト国境からエリトリア国境まで連続しており、2000mクラスの山々が連なっている。具体的にはAsteriba山(2217m)、Erba山(2217m)、Oda山(2259m)、この山脈の最高峰であるHamoyet山(2780m)が北から南に連続している。紅海州の水事情は極めて厳しく、表流水はなく、地下水も限定的である。そのため、紅海州では飲料水を海水淡水化によって確保している。ただし、紅海州の南のTokar地方には大きな扇状地が形成されており、ここは比較的地下水が豊富なことから地下水灌漑による農業地帯となっている。

1-1-2. 沙漠

写真3. スーダン唯一の世界遺産のピラミッド

写真4. 道路を見失させる砂丘の移動

「スーダンの水事情」では砂漠を「沙漠」と表現するが、これは砂漠と記載すれば大量の砂をイメージするためであり、実際の沙漠には土漠、岩石沙漠及び塩沙漠等があり、何よりも水が少ないイメージを理解してもらうには沙漠と表現することが望ましいからである。

スーダンで完全な沙漠となっているのは北部州、ハルツーム州、紅海州及びカッサラ州である。これらの州はヌビア沙漠に含まれており、この沙漠は広大なサハラ沙漠の一部となっている。ヌビア沙漠は砂丘、土漠、岩石沙漠によって構成されている。移動を繰り返し、危険な砂嵐「ハブーブ」を伴う砂丘は北部州付近に分布し、一部は首都のハルツーム近郊にも存在している。北部州の州都であるドンゴラ市はナイル川の左岸に位置しているが、周辺を完全に砂丘で囲まれている。砂丘は常に移動するために、ハブーブの季節になれば幹線道路が消滅するほどの猛威を振るう。また、この時期には移動中に地方道路の消滅によって方向感覚を失い死亡事故が多発すると言われている。一方で、土漠と岩石沙漠はナイル川の右岸から紅海州にかけて分布しており、そのほとんどは茶褐色の不毛な砂礫と岩石でできている。岩石沙漠は砂岩や花崗岩類が主体であり、ちなみにスーダンで唯一の世界遺産であるメロウエ地区のピラミッドは岩石沙漠に露出している赤褐色のヌビア砂岩で建設されている。

1-1-3. 平野

スーダンは国土の東西南を山地に囲まれているものの、極めて平野の多い国である。平野は大きく紅海沿岸の海岸平野と内陸部の広大な構造平野に分類される。紅海の海岸平野には無数のワディで形成された沖積平野や扇状地が見られるが、その規模は小さいために良好な帯水層は発達していない。このように、紅海州では表流水や地下水が絶対的に不足しており、このことが海水淡水化施設建設の必要理由である。

一方、スーダンの内陸部に関しては、北部のエジプト国境方面に山がないため北に口を開けた馬蹄形のような構造平野が広がっている。そして、侵食から取り残された残丘が所々に分布しており、これら残丘の標高はほぼ1000m以内である。また、スーダン中部から南部にかけての平野部は緩やかな起伏を伴っており、必ずしも低平ではない。特に、南部スーダンの首都であるジュバ周辺ではこの起伏がさらに大きくなる傾向にある。ここで述べている構造平野とは地形学の専門用語であり、古い地層や岩盤(古生代以前)が侵食されて形成された地形のことである。地層や岩盤には硬軟があり、硬い地層や岩盤が様々な侵食によって残されたものが残丘となる。このような古い構造平野は日本には存在せず、日本の平野は第四紀と呼ばれる一番新しい地質年代に形成された平野である。
スーダン内陸部の構造平野には非常に豊かな農業地帯が存在する。その代表的な場所は白ナイル川と青ナイル川に挟まれたエル・ゲジーラ地域である。ここでは大規模な灌漑農業が展開されており、サトウキビ、米、ソルガム、各種野菜等が栽培されている。なお、この地域の現状については「2-2. 灌漑施設」で詳しく述べる。

スーダンの内陸部の平野を雨季に調査すると、広大な緑の平原が延々と続いており、スーダンが非常に豊かな農業国であることを認識させられる。特に、スーダン東部のエル・ゲジーラ州、センナール州及びゲダレフ州を雨季に訪問すれば、ここがスーダンであることを忘れる。気温が雨季には低下し、雨が多く、必然的に大地は緑に覆われる。しかしながら、この地域の土壌は綿花土と呼ばれる重粘土質であり、雨季には車での移動が制限される。幹線道路はアスファルトで舗装されているが、それ以外は水溜りが多く泥濘化した道であり、4輪駆動車でも通行ができなくなる。

1-1-4. スッド湿原

スーダンと南スーダンの国境付近に広大なスッドと呼ばれる内陸湿原があることは余り知られていない。その理由は、南米のパンタナールやボツワナのオカバンゴ湿原のように気楽に観光客が訪問できるような場所ではなく、インフラ整備が大きく遅れていることにもよる。この湿原は南部スーダンのJunglei州の西部に位置し、白ナイル川によって形成された面積は13万km²にも及ぶ広大な内陸湿原である。
アラビア語でスッドとは「障害物」を意味する。その障害物とはホテイアオイやパピルス等で形成された数多くの浮島である。これら浮島が白ナイル川本流や分支流及び湖沼に発生し、しかも浮島が移動しながら下流に向かうために大変な障害物となる。古くから多くの地理学者や探検家が下流から上流に向かってナイル川の水源調査を果敢に繰り返してきた。しかしながら、スッドの大湿原が彼らの大きな障害物となり、探検は極めて困難であったとされている。

図2. スッド大湿源とJunglei運河(出典:MICHELIN(2007)

このスッド湿原が世界的に有名になったのは1978年に大規模なJunglei運河の建設がスーダン政府、エジプト及びフランスの協力により開始されたことによる。運河の建設にはレーザーで誘導できる「バケットホイール掘削機(重量は2300トン)」が使用されたが、1983年のスーダン人民解放軍の襲撃により、工事は計画の360kmの内、260kmまで進められたものの、約1/3を残し中断された。そして、この巨大な掘削機は放置されたまま現在に至っている。この運河建設の最大の目的は、白ナイル川がスッド湿原で滞留することにより、全体流量の50%に相当する水量が蒸発するために、これを「有効活用」したいとするエジプトの国内事情があり、エジプトは現在もこの計画を諦めていない。
現在、高緯度地域を含め世界的に干拓や埋め立てによって湿原が消滅あるいは縮小する傾向にある。これに対して1971年にラムサール条約が発効され、現在160ヶ国がこの条約に加盟している。そして、スーダンは、これら160ヶ国の内、上位5ヶ国にランクする湿地面積819万haを2005年5月に登録した。2011年7月に独立した南スーダンが今後スッド湿原をどこまで保全することができるか注目されている。

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事